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「りゅうじさんの言葉はハッとするまでにタイムラグがある」ってよく言われます。

こんにちは!Misekai代表の綿貫竜史です。

今日はMisekaiの授業に参加する中高生たちや社会人の方々によく言われる「りゅうじさんの言葉はハッとするまでにタイムラグがある」という謎に迫ります。

 

僕の頭の中には常に「具体と抽象とアナロジー思考」の三角形があります。

 

私の体験という「具体」、そこに何かしらの解釈を見出した「抽象」という意味の世界、そして第三者が体験した「具体(アナロジー)」で構成される三角形です。

 

 

授業では、いつもバングラデシュで体験した私の具体的な体験を「これってつまりこういうことだよね」という形で抽象化しながら言語化し、ゲームやグループワークという具体(アナロジー)で分かりやすく伝えています。

 

「りゅうじさんの言葉はハッとするまでにタイムラグがある」といった際の「りゅうじさんの言葉」というのは、私の体験を抽象化しながら選び抜いた言葉のことを意味しています。

 

私が選び抜いた抽象的な言葉だけがポンっと目の前に放たれるので、その抽象的な言葉が聞き手のどのような具体的な体験と結びつく言葉なのかを見つけるまでにタイムラグが生じます。

 

例えば、「言葉には景色がある」という抽象的な言葉が授業中に放たれたとします。

 

「戦争」という言葉を一つとっても、日本人にとっては敗戦のイメージを呼び起こし、バングラデシュの人たちにとっては母語を勝ち取って独立した時の高揚感を呼び起こします。

 

このように、言葉そのものによって呼び起こされる個人のイメージは様々であることを「言葉には景色がある」と表現しています。

 

しかし、「言葉には景色がある」という表現を自分事として落とし込むためには、自分事として落とし込むための経験や知識を持っていなければいけません。

 

つまり、抽象的な言葉を自身の具体的な体験によって府に落とすまでにタイムラグが生じるのです。

 

 

 

私は、言葉にタイムラグが生じることは教育においてとても良いことだと思っています。

 

なぜなら、理解しきれない言葉は、聞き手を一瞬にしてアンコンフォートなゾーンに誘うからです。理解できそうで理解しきれない違和感は、まさに居心地の悪いゾーンなんだと思います。

 

その居心地の悪いゾーンを何とかして居心地のいいゾーンにするために、きっと人は知識を得て、経験を得ていくのだと思います。

 

そう考えると、未知を既知にしようとするプロセスの中にきっと「成長」という要素があるのかもしれません。

 

 

言葉にタイムラグがあるという状況は、答えが分かっていて、その答えにたどり着く数式を導き出す「インド式の数学」にも似ている気がします。

 

綿貫から放たれた抽象的な言葉とはつまり、数式でいうと「=のあとの答え」です。

 

この「=のあとの答え」を導く数式を自身の経験の中から何とかして導き出すのです。

 

タイムラグが生じているのは、「答えを導き出す数式を一生懸命探している時間が生じていることなんだ」と私は思います。

 

最後まで、ご覧いただきありがとうございました。

たまにこんな形で、綿貫の頭の中をメモしていこうと思います。