Misekai BLOG

Misekai授業の原点は私のコンプレックス

こんにちは!Misekai代表の綿貫竜史です。

Misekaiの授業をいつも制作させて頂いているのですが、どんな想いで普段授業をつくっているかを少し書いてみようと思います。

 

私が手掛ける授業は、私が過去にコンプレックスを抱いてきたことを起点に描かれています。

 

 

『工夫のアイデアと罠』や『制約、工夫、そして多様性』という授業のテーマは「良かれと思ってやったことが相手を傷つけてしまう」ということですが、私はよく自分自身の思い込みで人にお節介を焼いてしまうことがありました。

まさに私自身が良かれと思ってやったことで相手を傷つけてしまっていたのです。

 

でも、バングラデシュの子どもたちと接する中で、良かれと思った行動が子どもたちにとって取り返しのつかないトラウマを引き起こしてしまう一面を目の当たりにしました。

 

この時に、どうやったら自分自身の思い込みの罠を取り外すことができるのかということをよく考えるようになりました。

 

 

『世界メガネ』『世界を体験しよう!』『ナノレベルのコミュニケーション』は具体と抽象思考のお話をテーマにしています。

 

私はもともと感情・感覚タイプの人間で、頭の中には明確にイメージができているのに、いざ言葉に出そうとすると上手く伝わらず、悔しい想いをたくさんしてきました。

時として、私の表現力が乏しいせいで誤解を招き関係が崩れることもありました。

 

大学院に入って初めてKJ法という思考を学び、その流れで具体と抽象という思考を知りました。

この具体と抽象思考は鍛えれば鍛えるほど、自分自身の発想力とコミュニケーションがアップデートされていき、気づけば自分自身の頭に描くイメージや感覚すらも言葉にできるようになりました。

 

本当はめちゃくちゃ才能をもっているのに、その価値が上手く伝わらない。

もし自分自身が抱く感覚や思考、イメージを言語化することができ、相手にわかりやすく伝えることができれば、人生はもっと面白くなっていくんじゃないかなと思います。

 

『野生教室』や『進化、退化、マサイ化』の授業もゆかりさんのケニアの話や詩織さんのマサイ族のお話をベースにしていますが、その原点には「ないものねだり」をしてしまう私自身の弱さがありました。

ついつい「ないものねだり」をしてしまう自分に対する戒めとして「あるものねだり」という価値観を提示し、すでに私たちが持っているものをどうやって活かしていくかをずっと考えてきました。

 

 

おしえるという本質は、何かを成し遂げた人たちがその成功の方法を他者に教えることとは少し違うと私は思っています。

 

おしえるという営みを通じて、どうやって自分自身をアップデートしていくか。

おしえるという営みを通じて、いかに自分の原点を風化させないか。

 

 

ここにおしえるという営みの本質が隠れている気がします。

まさに、Beyond Meということです。

 

 

Misekaiの授業を手掛ける時には、Misekaiメンバーの原体験を引き出すと同時に、私自身の原体験を引き出し、その共鳴点を授業のエッセンスにしています。

 

授業をしているときに私自身がたくさん学びを得ていることはもちろんですが、実はMisekaiメンバーの授業を制作しているときの方がより一層私自身が学びを得ていたりしています。

 

授業をつくるって、なんかいいですね。

 

 

最後までご覧いただきありがとうございました。